2020年2月4日 東京高裁第1回公判傍聴記
文責 外科医師を守る会 事務局
検察側証人への尋問
2月4日、初公判13時30分開廷。
傍聴券の抽選は13時15分、傍聴席は約50席、傍聴券を求めて120人が並んだ。開廷時刻の13時30分になっても傍聴者の入廷チェックの列は門の外まで伸びている。なぜ時間に余裕をみて抽選時間を決めないのかと整列の為にいた係員に苦情を述べる人もいたが係員は・・・・私に言っても時間を決めたのは私ではないそんなわけで開廷から傍聴者が全員着席して証人尋問が始まるまで5分以上待たなければならなかった。
裁判官は第10刑事部の朝山芳史部総括判事(第33期・令和2年5月2日退官)、裁判所の関心事は、女性はせん妄であったか、身の回りで起きたことを認識する能力およびLINEメッセージを発信する能力、せん妄と診断された場合に、さらに幻覚錯覚が生じる可能性、だという。
2月4日は検察側、2月26日は弁護側がそれぞれ推薦した精神科の専門家の証人尋問が行われ3月24日の最終弁論で結審となる。4月にも判決が出される。以下は、筆者が初公判を傍聴した際に記したメモをもとに作成したもので、詳細に一字一句正確とは断言できないが、大筋において、このような証言が交わされた。
証人尋問に先立って、裁判所は双方に確認した。検察の控訴趣意書に対して特に述べることは無かった。
弁護側は主任弁護人の高野隆弁護士が、控訴趣意書に対する答弁書について述べた。本件は犯罪ではなく医学的症例だ。原審において手術に立ち会った八巻医師、麻酔科医、3人の看護師、病棟の患者の証言を信用できるとしてAさんは術後せん妄にあった可能性が高いと認めた。弁護側が行った検証実験により外科医師の術前にDNAやアミラーゼが付着し検出された可能性があると認めた。しかし私どもは原審の判決に満足していない。科捜研の科学と言えない鑑定が明らかになった。1時間でアミラーゼ検査が強陽性になったことを写真に残さず、ワークシートは鉛筆書きで消した跡が9か所、書き直した跡が7箇所あり、DNA抽出液を廃棄した。こんなものを刑事裁判で認めたことはアンフェアである。
証人尋問
検察側が推薦した証人の井原裕教授(獨協医科大学埼玉医療センターこころの診療科)井原氏は本件についてのプレゼンテーションを1時間弱パワーポイントで行い、その後に検察側の尋問、弁護側の尋問と進んだ。
《井原教授のプレゼンテーション》
証言要旨として以下の3点をあげた。
- 1)Aさんにせん妄はあった
- 2)Aさんの証言は信用できる。「幻覚があったとは言えない」
- 3)本件同様の事件は稀ではない
私は、「せん妄」研究の専門家ではないが、「せん妄」臨床の一般知識こそ持っている、司法精神医学の専門家であると自己紹介をした。
麻酔によるせん妄は体内にはいった化学物質によって起こり時間の経過とともに改善していくタイプだとしてアルコールによる酩酊の判断能力を記したビンダーの分類(1935)を例に出して、単純酩酊では見当識は保持されて幻覚・妄想なし。複雑酩酊では見当識はおおむね保持されて幻覚・妄想なし。病的酩酊では見当識は失われ幻覚・妄想が多いと説明した。
さらに、せん妄にも幅があり、低活動型せん妄、混合型せん妄、過活動型せん妄と分類される(川嵜2007)こと。低活動型せん妄は見当識障害はなく、幻覚・幻視・錯視はなしか極めて稀、記憶障害は少ない。これに対して過活動型せん妄は見当識障害があり、幻覚・幻視・錯視はしばしばあり、記憶障害があると説明した。
Aさんについては、14時45分、「ふざけんなよ、ぶっ殺してやる」と言った時は過活動型せん妄であり、その記憶はない。その後にどんどん回復して、14時55分、看護師の「痛いですか」の問いに「痛いです」と返事ができる状態では低活動型せん妄。15時12分にはLINEが打てる状態になっていた。これは合目的行動だと説明。しかし血中薬剤はまだ残っているのでウトウト寝てしまう状態だったこと、被害を受けた記憶を覚えているので低活動型せん妄の状態だったと言えること、弁護側小川鑑定はAさんのせん妄の状態を広くとりすぎており見誤っていると反論した。
その上でAさんの訴えは痴漢被害者の心理として説明できる。弁護側が一審で示した性的幻覚を見たとするBalasubramaniamの論文の「医者がこんなことするわけがない!」「せん妄だ!」「幻覚だ!」は世界では通用しない。麻酔・鎮静中の医師の性犯罪は世界的な問題になっている。と主張を展開した。
《検察の証人尋問》
検察の尋問で、Aさんは幻覚を見ていないという証人の主張を、改めて確認した。
検察官 Aさんが幻覚を見る可能性の時間帯についてはどうか。
証人 「ふざけんなよ、ぶっ殺してやる」と言った14時42分時点は幻覚を見ていて、LINEを打っている15時12分以降は幻覚を見る可能性はありません。
検察官 麻酔薬によるせん妄とアルコールによるせん妄を同じと考えてよいのか
証人 癌患者や合併症をいくつももっている高齢をモデルに判断すると見誤ります。
検察官 15時15分の「ここはどこ」、「お母さんはどこ」は見当識障害ではないのか。
証人 衝撃的な出来事があって冷静沈着でいられないなかでその発言は当然です。
検察官 14時45分に病室に戻ってきたとき過活動型せん妄、15時12分にはLINEが打てる。20分で変わるものですか。
証人 麻酔からどんどん覚めていく。朝起きるのと同じ。
検察官 せん妄には浮動性(一定せず不安定な状態)があり、幻覚が説明つくのではないか。
証人 的外れな議論です。1日の中で意識レベルに差があることを浮動性といいます。普通はドクターが入ってきたときに緊張して意識レベルが上がり、ドクターが出たときに意識レベルが下がるので、ドクターがいた時だけ意識レベルが下がって幻覚を見ることは有り得ません。
《弁護側の尋問》
証人はプレゼンテーションに引用したビンダ―の酩酊の分類は、せん妄について書いたものではないことを認めたうえで、ビンダ―の酩酊の分類を用いたのは、せん妄を理解しやすいように独自にアレンジしたものであり、今回のせん妄をせん妄一般で理解してはいけないと主張した。
弁護人 ビンダーの分類では単純酩酊、複雑酩酊、病的酩酊と書かれていたものを、参考に先生はせん妄を低活動型、混合型、過活動型に当てはめる考えを示した。単純酩酊は低活動型せん妄、複雑酩酊は混合型、病的酩酊は過活動型に置き換えたということですね。
証人 それぞれに該当するわけではありません。重症度に違いがあるという事を示したかったのです。今回は体に入った化学物質が代謝されていく際に生じるタイプのせん妄、アルコールもだんだん体から抜けていく。アルコールとプロポフォールによるせん妄を比較することは意味があるが、プロポフォールのせん妄とせん妄一般を比較することは意味が無い。
弁護人 このように置き換える考えを先生以外で、提唱されていますか。
証人 せん妄の精神医学的な知識を正確にしゃべったところで、本件を理解するうえでは何の役にも立ちません。ですからアレンジを加えたという事です。
弁護人 先生が作られた表について低活動型について幻覚・幻視・錯視については、「なし、極めて稀」とあります。このことについての出典はありますか。
証人 幻覚が問題になるようなことは無い。不活発が問題になることはありますが、基本的に幻覚についての記載がない。
弁護人 (低活動型せん妄に幻覚が認められるとする弁護側が用意した論文を示して)先生は今日証言するにあたり先生はこの論文を参照されましたか。
証人 本日のプレゼンテーションでこの論文を参照する必要は全くありません。この論文のモデルは緩和ケアで高齢者。本例は若くて癌でもない人、この論文を参照する必要はありません。
弁護人 (証人がプレゼンテーションで示したスライドを示して)先生は、低活動型せん妄の場合に、見当識障害は無いかあるいは少ないという理解ですか。
証人 せん妄に関する論文は高齢者医療についての論文ばっかりです。だからせん妄の一般論を30代の若い女性に当てはめてはいけないのです。
証人は低活動型せん妄は、見当識障害を伴うことはまれで記憶障害は少ない、本例を理解するうえでDSM-5の診断基準は何の役にも立たないと主張した。しかしその根拠については明らかにしなかった。
弁護人 DSM-5の診断基準にせん妄について、真っ先に見当識の低下がせん妄を診断するうえでの一つの基準とされています。それだけとは言っていません。しかし先生の考えは必ずしもDSM-5の診断基準に沿うものではない。
証人 基準にはなりますが、見当識だけを上げて強調すると見誤ると思います。見当識の障害が無くてもせん妄と診断で来る例はあります。
弁護人 先生は高齢の緩和ケア病棟にいる患者さんと、若い30代の健康な患者さんの低活動型せん妄には、記憶の保持に違いがあると言われた。出典、論文ありますか。
証人 出典を聞くまでもなく、あまりにも医学的に当たり前のことです。
弁護人 病院でワンフロアに響くくらいの大きな声をだして興奮した。これは礼節を失っている行動と評価することは出来ませんか。
証人 これはせん妄かどうかではなくて、実際に何か本人を苛立たせるような状況が起こっているのではないでしょうか。
弁護人 DSM―5のサブタイプは患者の年齢は考慮していない、低活動型せん妄では、見当識障害はないとか概ね保持されるとか、言っていない。
証人 DSMでは言っていないですが本件を理解するうえでは何の役にも立ちません。
証人がプレゼンテーションに用いた、医師の性犯罪が増えているというスライドには証人の誤訳があり、処分された件数ではなく対象に上がった件数だった。さらに証人は、患者に性的暴行を加える医師についての論文を紹介したが、性的暴行が繰り返されたとする項目を証人は統計から削除していた。
弁護人 先生はせん妄による幻覚は思い出せないと言いました。プロポフォールを使った患者が幻覚を見たという論文、先生がスライドで引用しているBalasubramaniamにもいくつか報告されています。
証人 私はBalasubramaniamの論文については懐疑的です。
弁護人 (証人がプレゼンテーションで示したスライドを示して)麻酔鎮静中の医師の性犯罪は世界的に深刻な問題になっているとした「Doctors & Sex abuse」の統計で 1999年以来3500ケース、最近2年間だけでも450人が処分されたとなっていますが、この数は対象に挙げられた数で処分とは一言も書いてありません。
証人 訳しきれて、いなかったかもしれません。
弁護人 (証人がプレゼンテーションで示したスライドを示して)先生は患者に性的暴行を加える医師のタイプの論文で)5因子の組み合わせとして説明されていますが、5因子だけではないですね。
証人 パーセンテージが高い上から5つを選びました。
弁護人 患者の数というコードがありほとんどの場合は複数です。しかしこの統計には含まれていない。繰り返し行われているのが全体の96%
証人 その通りです。
筆者の感想
井原教授は以下のようなことを主に話された。
Aさんにせん妄はあったが、時間の経過とともに「ふざけんな」と話したときは過活動型せん妄であり幻覚を見ていた、そのことは記憶に残っていない。その後に被害を訴えた時はどんどん回復期にあり、低活動型せん妄の状態だったと言える。低活動型せん妄の状態では見当識は保たれており、Aさんの記憶は正しく幻覚は見ない。夢であれば覚めるはずなので夢でもない。Aさんはプロポフォールによるせん妄であり、年齢も若く基礎疾患もないので、通常のせん妄の基準は適応してはいけない。一般に用いられているDSM―5は何の役にも立たない。自分は臨床の現場で経験を積み日々せん妄の患者と接し、論文を書いたり研究発表したりすることは専門ではないと言われた。
一傍聴者として筆者は率直に以下のように感じた。
一般的に用いられている基準を否定して自らの考えを主張するのであれば、その裏付けとなるエビデンスも明らかにしてほしい。医師の性犯罪が増えていることを説明するスライドがそもそも誤訳であり、たとえ性犯罪をする医師が増えていたとしても、個別の例で分析しなければ意味が無い。原審で確率が低いから術後せん妄ではなかったと主張する検察の組み立て方と同じではないだろうか。性犯罪を繰り返すというデータを統計分析から除いたのも、統計を説明するうえで恣意的と感じる。
証人の手法に倣えば、一般的な基準を無視して根拠を示さず自論を展開したり、誤訳や重要な項目を削除した統計を見せられても、本件を理解するうえで、何の役にも立たない。